ライブドア錬金術のメカニズムを解明する:投資事業組合編

 一連のライブドア事件においては、投資事業組合が違法行為の受け皿として多用された。今回の事件発覚により、あらためて投資事業組合の名前を聞き及んだ読者も多いと想像する。ここで、今一度投資事業組合について検証してみよう。

 我が国に投資事業組合が誕生したのは1982年であるとされる。我が国では、企業への金融を長らく間接金融に依存してきたことへの必然的反省として、アメリカ型ベンチャー・キャピタル制度の導入が求められはじめた。後にJAFCOと改められる日本合同ファイナンスが、アメリカ型リミテッド・パートナーシップ(LP)を見本に原型を日本流にモディファイし、民法組合の活用による投資事業組合を発足させた。これは、民法の規定する任意組合に投資事業を行わせるというプリミティブなもので、私募により、また、構成員も50人未満といった、寄り合い組織的性格の強いものであった。また、この仕組みにおいては、投資における責任はすべからく構成員に課せられており、構成員は投資に必要な費用を案分負担するのみならず、損失が発生した場合の負担も無限に負うという過酷なものであった。しかし、この極めてプリミティブな投資団体は、誕生からまもなく三ファンド組成され、我が国における投資事業組合の魁(さきがけ)となった。

 なお、話を進める前に投資事業組合の定義を明確にしておこう。投資事業組合とは、文字通り投資事業を行うために組織される組合のことである。法人格は組合であり、組合の構成員によって組織される(よく勘違いされるが、投資事業組合はただの任意団体であり、株式会社といったような営利法人ではない)。投資事業組合は、投資資金をプールする受け皿としてファンドを組成し、組合員から私募的にお金を集めて運用する。ファンドは、多くはクローズド・エンド型ファンド(運用期間があらかじめ定められており、期日まで解約できないタイプのファンド)で、運用益を定期的に、また、ファンドの解散時に組合員に分配することによって配当する。上に説明した民法組合活用型投資事業組合は、組合の組成、ファンドの組成と運用の一切を組合が取り仕切ることを求められている。

 一方、バブル崩壊のほとぼりが冷めた頃、我が国でもベンチャーブームが発生、アメリカ型ベンチャー・キャピタルの更なる普及と、新興ベンチャー企業誕生の期待が高まってきた。そこで、ベンチャー企業へのリスクマネーの供給源として機関投資家の存在が注目され、投資事業組合への投資を促す行政的風潮が高まった。しかし、民法組合活用型投資事業組合は、組合の構成員全員に投資リスクを負わせる仕組みになっており、機関投資家が投資をすることの大きな障害になっていた。そこで、1998年に中小企業等有限責任組合制度が創設され、投資事業組合有限責任組合員制度が導入された。これにより、リスクマネーを出資する機関投資家は出資の範囲内に責任が有限的に制限され、機関投資家によるベンチャー投資が極めて盛んになった(なお、この法律制定を行った、時の大蔵省の功績は極めて大きい)。我が国における投資事業組合の歴史は、この時点より大きく飛躍してゆくのである。
(次回へ続く)