グラハムの投資理論を学ぶ:グラハムについて

 さて、グラハムその人について説明しよう。グラハムは1894年にロンドンで生まれた。彼の生まれたもともとの家はGrossbaumという名のユダヤ人一家で、同家はグラハムが生後一歳の時にアメリカへ移住、Grahamと名を改めた(なお、Grossbaumという、いかにもユダヤ人らしい名前か、その発音の難しさを同家が嫌ったものと推測される)。ニューヨークに移り住んだグラハムは地元の名門コロンビア大学へ進み、1914年に二十歳の年で学士号を取得、卒業するまでに哲学、英語、数学の三分野で教鞭を取るよう大学から依頼されている。卒業後、そのままコロンビア大学に残ったグラハムは同校のビジネススクールにて教鞭をとり、以後、同大学における投資学の権威として名を世間に知られてゆく。

 グラハムの名を決定的にしたのは、1934年にデビッド・ドッド(David Dodd)と共著した”Security Analysis”の出版である。今でも古典的名著とされる同書は、世界恐慌の影響未だ抜けきれぬ当時の株式投資市場の世界に大きな影響を与え、投資家達のバイブルとされるにいたった。同書は、世界恐慌の間接的原因が投資家による投機にあるとし、投機を抑え、投資を促進することが結果的な市場成長を促すということを主張するものであった。この考えは、後の名著”The Intelligent Investor”にも受け継がれ、保守的投資(Conservative Investment)の具体的理論化へと進化してゆくことになる。余談になるが、同氏らの名著”Security Analysis”は、出版から60年を経た現在でも改訂が進められ、今日のコロンビア大学ビジネススクールにおいても未だに現役の教科書として採用されている。

 またまた余談になるが、グラハムのコロンビア大学における名物講義のひとつが、彼の”Security Analysis”を教科書にしたSecurity Analysis(株式分析)であったが、その講義は極めて難解で、かつ厳しい採点がされる講義として有名であった。1950年に同講義を受講した学生の中で、唯一人最高評価であるA+を獲得した人物が時のウォレン・バフェットであった。バフェットは、グラハムを「私の人生にもっとも大きな影響を与えた第二番目の人である。第一番目の人は、私の父であるが」と語っているほど敬愛していたとされる。また、バフェットの息子ベンジャミンは、グラハムの名から取ったとされている。

 また、バフェット以外にも、同スクールにおいては数々の後の偉大な投資家となる学生達を育て上げた。ウィリアム・ルエイン(William Ruane)、アービン・カーン(Irving Kahn)、ウォルター・スクロス(Walter Schloss)といったところが筆頭であろう。

 なお、世界恐慌の間接的原因はカネ余りを基盤としたバブル経済的投機活動であった。グラハムは、投機と投資を明確に区別し、投資家を「投資を正しく行う人」と定義している。では、グラハムは投機(Speculation)と投資(Investment)をどのように分けているのであろう。
(次回へ続く)