グラハムの投資理論を学ぶ:防御型投資

 はじめに、グラハムの定義するDefensive Investmentについて説明しよう。グラハムは、投資をDefensive Investment(防御的投資)とOffensive Investment(攻撃型投資)とに二分している。防御型投資とは、市場に流通している株式のうち低評価株を発掘し、それを安値で購入、高値で売却して利益を得るタイプの投資のことを意味する。一方、攻撃型投資とは、ある株式の、たとえば市場のモメンタムや話題性、会社の将来性などに注目し、その結果生じる株価値上がりによって利益を得るタイプの投資のことを意味する。前者が100円の「時価」の株式を50円で取得し、100円で売却して利益を得るのに対し、後者は100円で売買されている株式を200円まで値上がりした時点で売却し、利益を得る、といったイメージである。

 なお、グラハムは生涯を通じて防御的投資を行っている。さて、そろそろグラハムの株式評価方法の要諦をご説明したいが、その前にグラハムのパーソナルヒストリーをもう少しご紹介しておこう。

 以前、グラハムがロンドン生まれのユダヤ人であり、彼が一歳の時に家族全員でアメリカに移住してきたことを述べた。グラハムの父親は、イギリスで貿易商を営んでいたが、業績不振から新天地アメリカを目指し、事業の再興を目指したとされる。当時のアメリカは、まさにヨーロッパからの移民にとっての「輝ける新天地」であり、イギリスで泣かず飛ばずのビジネスを展開していたグラハムの父は、アメリカで態勢挽回の賭けにでたというわけだ。しかし、人生は常にドラマに満ち溢れるが、グラハムの父はアメリカ移住後、間もなく急逝、一家は存続の危機に見舞われる。それまでの蓄えを食い潰して生活の糊口をしのいできたグラハム一家は、母親の細腕一本で養われてきたが、1907年ごろ、つまり、グラハムが10歳の頃には全貯金を食い潰し、路頭に迷う寸前にいたったとされる。

 一方、非常に聡明な少年として近隣の話題をさらったグラハム少年は、地元の名門コロンビア大学に入学、前述したとおり、卒業までの期間に三科目の教鞭ポジションをコロンビア大学からオファーされている。しかし、母を含めた家族を養う必要性からグラハムはそれらのオファーをすべて断り、一時的な資金を獲得するためウォールストリート入りし、フィナンシャル・リサーチャーとして働くことになる。グラハムは、ビジネスでも頭角をあらわし、たちまち当時の金額で年俸50万ドル(現時点では500万ドル、日本円で6億円程度)のサラリーを獲得する。なお、この頃からグラハムはコロンビア大学にてパートタイムでファイナンスを教えはじめ、そぞろにアカデミズムにおいても活動を開始している。余談になるが、この頃のアメリカの大学は、実務家がパートタイムで大学で教鞭を取るケースが極めて多い。アメリカの大学においては、特に経済学、経営学、とりわけファイナンスの分野においてこのようなケースが数多く見られるのは、極めてアメリカ的な実務主義にもとづいている。
(次回へ続く)