グラハムの投資理論を学ぶ:バブル経済の形成

 グラハムは、自らの投資の失敗から無一文になったことを既述した。また、グラハム一家はイギリスに生きた貧しいユダヤ人一族で、アメリカ移住後すぐに父親が死去するなどして困窮を極め、グラハムは少年時代から経済的に恵まれない日々を送った事も既述した。投資家それぞれの投資ポリシーとは、つまりは投資家の人生ポリシーであるとはよく言われる。グラハムの、ある意味での苦難の人生は、彼をして独自の投資ポリシーを醸造せしめたのであろう。

 グラハムが無一文になった直接の原因は世界恐慌である。世界恐慌はひとつの巨大なバブル経済であったことは現在の衆目の一致するところである。しかし、当時に生きる人々にとっては突然訪れた「大恐慌」そのものであり、夢想だにしなかったとはまさにそのことであったであろう。後の世界大戦にもつながったこの出来事は、今では歴史の教科書の一項をかざるに過ぎないが、当時の人々、グラハムも含むが、にとっては死活の問題であった。

 話はそれるが、筆者は最近「シンデレラマン」という映画を観た。この映画は、実在した伝説のプロボクサー、ジム・ブラドックをテーマにしたものである。映画の主旨は、一時は栄光を極めたものの、試合中の事故で選手生命が閉ざされ、しかも折からの恐慌により投資した資産が紙くずになり、さらには、プロバクサーのライセンスを剥奪され、困窮を極めてしまう。しかし、苦労の中から復活し、最後は晴れて世界チャンピオンに返り咲くというものである。読者諸姉諸兄にもご一覧を強くお勧めするが、この映画の中で没落した主人公が言ったセリフが極めて印象的であった。一家を養うため港湾労働で日々の稼ぎを求めていたブラドックは、仕事場の相棒に仕事後のビールをおごってもらい、こうつぶやく「当時の稼ぎは良かったよ。しかし、投資したタクシー会社が倒産するなんて当時は誰が気づいていたか?タクシー会社は安全だってみんな言っていたぜ」と。

 なお、言うまでもないが上の会話がなされていたのは1930年代である。現代風にたとえれば、健全な航空会社である日本航空に投資したが、期待に反して一気に倒産してしまったというところであろうか(もっとも、日本航空は別の意味で危険な要素を大いに含む会社であるが)。

 株価の健全性、つまり、グラハムの言うところの「安全域」を求めるという発想とは、上の映画の話に象徴されるが、グラハムを含むすべての投資家において適用されるひとつの「警戒」であろう。大恐慌も含まれるバブル経済の渦中においては、「安全域」を無視するか、あるいはその存在そのものを知らぬままいたずらに市場ゲームに参加し、結果的に深手を負うケースが多い。グラハムは、みずから参加していた市場ゲームの失敗の反省から、「安全域」の発想に至ったことは容易に想像ができよう。
(以下、次回)