グラハムの投資理論を学ぶ:南海泡沫事件

 独占貿易会社である南海会社の本業は言うまでもなく貿易業である。しかし、1719年時点での南海会社の貿易事業は、まったく鳴かず飛ばずの状態が続けられていた。スペインとの貿易協定により、メキシコとの南米貿易が開始されるという、当時においては夢のようなニュースが伝えられたが、それによって同社が大きな利益を獲得したというニュースはついに伝わってこなかった。このあたり、先のライブドア事件の終盤において堀江が株価吊り上げのために次々と「近鉄球団買収」「フジテレビ買収」「宇宙旅行事業進出」と、夢のような話題を振りまいていたこととまったく同様であろう。繰り返し申し上げるが、詐欺師の常套手段は、世の東西を問わず、また、歴史の長短を問わず、ほとんど万古普遍なのだ。

 さて、1720年に南海会社が発表したイギリス国債所有者に対する同社株式付与オプションは、時の投資家全体に大きなインパクトを与えた。投資家はこぞってイギリス国債を購入し、南海会社の株式をまったくタダで手に入れた。そして、投資家はその株式を、黙って高値で売却すれば一晩で大金が手元に転がり込んできた。なお、このようにして利益を得た人の中には、時の国王ジョージ一世の愛人と、その姪たち一同も含まれていたと言われる。

 1720年4月に同法案が議会で成立してからほんの5日後に、南海会社は1株300ポンドで新株発行を行った。この新株発行は、購入の頭金60ポンドを払えば、後は8回の分割払いで購入することができた。時の国王ですら自分の欲望を抑えられず、この時点で総額10万ポンド相当の南海会社新株を購入したとされる。

 南海会社株式の相場は、まるで南海会社の投資家達の正当性を証明するかのように上昇を開始した。同社の株式はじわじわと上昇し、数日後に340ポンドになった。投資家の旺盛な買い意欲を冷却するために、南海会社はあわてて新株の追加発行を発表した。それも、400ポンドという高値での発行である。しかし、「有望な投資先」を求める投資家は極めて貪欲で、それから一月後には株価は550ポンドになり、その後もさらに上昇を続けた。

 既に「金融会社」と化した南海会社の経営陣も、この時点においてさすがに心配になってきたようだ。「実質的な価値」のない同社株式の価格が550ポンドの高値で取引されていることの危険性を認識し、「市場に冷や水を浴びせる」ことを目的に翌6月15日にさらなる新株の発行を行うと発表した。しかし、あくまでも貪欲な投資家は、「冷や水を浴びせられる」どころか逆にこれを歓迎し、いっせいに買いの注文を出すことでこれに反応した。その結果、経営陣の当初の思惑とは裏腹に、同社の株価は下落するどころか、逆に800ポンドの高値に急騰してしまった。こうなってしまえば狼狽するより仕方のない同社経営陣を尻目に、同社の株価はさらに急騰し、ついに株価は1,000ポンドの大台に到達するのである。
(次回へ続く)