グラハムの投資理論を学ぶ:南海泡沫事件

 1,000ポンドの大台に到達した南海会社株式は、飽くなき投資意欲を持つイギリス大衆の熱狂が押し上げたものであったが、彼らの投資意欲は何の根拠もなく高揚させられたものではない。南海会社が次々と「次なる新事業」を発表して投資家の話題をさらい、それをさらなる株価の上昇につなげていったことを前述したが、同社の株価が500ポンド水準で取引されていた頃に発表された次の「重大情報」こそ、投資家達に最大の衝撃を与えたものであろう。

 この、当時の世間で「この世でもっとも贅沢な企業情報」と噂された「重大情報」とは、南海会社のさらなる事業拡大に向け、国王と議会が、7,000万ポンドという巨額の資金提供を決定したという驚くべきものであった。この情報が市場に伝わるや同社の株式を求める投資家で市場は混乱し、同時に同社の株化は急上昇を開始した。この時点での積極的な投資家の中には多くの有力国会議員も含まれており、彼らの高名が同社株主リストに加わるや、さらなる一般投資家の買いを集めるという、恐ろしい「好循環」が構成されたのであった。

 この、ほとんど狂気と呼ぶべき市場の熱気は、ちょうど沸騰した熱湯が熱く燃える鉄板の上に注がれるや直ちに蒸発する現象に似て、もはや冷ましようのない状態にあったといえよう。潤沢に用意されたはずの南海会社の株式をもってしても、もはや狂人と化したイギリスの投資家達、カネをドブに捨てたくてうずうずしている愚かな連中の、欲求を完全に満たすことは出来ない状態にまで到達していた。そこで、現在の株式市場と同様、それを満たすために次々と「新興企業」が市場に登場してくることになるのである。現在の我々が第二のヤフーや楽天を捜し求めるのと同様、1700年代初めの頃のイギリス人達は第二、第三の南海会社を求めていた。そして、新手の「新興企業」は、見事なまでに斯様な投資家達の欲望をかなえたのである。

 日がたつにつれ、一見したところ極めて斬新的と思われるものから、実に荒唐無稽と思われるものまで、ありとあらゆる種類のベンチャー企業が市場に持ち込まれるようになってきた。その中には、当時のイギリスにもたくさんいたはずの雄のロバをスペインから大量に輸入しようというものや、海水を淡水化しようというもの、さらには、オガクズから板を作るといった、実にインチキくさいものまで含まれていた。バブルの終焉までに100近く登場したとされるこれら「新興企業」は、いずれも突飛さとインチキさ加減においては勝るとも劣らないものばかりであったが、「巨万の利益」を約束していた点ではいずれも共通していた。そのうち、市場ではいつしかこれらの「新興企業」をまとめて「バブル」と呼びはじめるようになったが、その名づけの根拠はまったく正しいものであった。すなわち、数多く登場した「新興企業」の中に、市場に登場してからわずか一週間くらいで「水泡」のように消えてしまう企業もそろそろ現れだしたからである。
(次回へ続く)