バブル経済に学ぶ:ミシシッピ会社事件

 ローは、単にフランス王立銀行への一般大衆による投資を促進するためにだけ王立銀行株式払込手形を発案したわけではないようだ。ローは、今でこそ当たり前となった貨幣経済の先鞭的実験を個人レベルで実施していた感がある。銀行実務家としてのローは、交換経済を超越した貨幣経済の拡大が、ひいては経済活動を活性化し、結果的に税収増による国家財政への還元につながると考えていたようである。

 さて、ローの設立した西方会社の事業は、フランス領カナダにおいてはビーバーの毛皮の輸出と、フランス領ルイジアナにおいては天然鉱物の採取を行うというものであった。このあたり、イギリスの南海会社の事業目的である奴隷貿易を主とする南方貿易と同類であることに注目されたい。特に、フランス領ルイジアナにおける天然鉱物、とりわけ金と銀の採集事業についてはフランス国民の関心が高く、西方会社への期待はおのずから高まった。

 なお、説明が重複するが、当時のフランス政府の解釈によるフランス領ルイジアナの領土とは、ミシシッピ川本流と支流の敷衍する全域、つまり、現在でいうルイジアナ州ミシシッピ州アーカンソー州ミズーリ州イリノイ州アイオワ州ウィスコンシン州ミネソタ州の、すべてを合計した誠に広大なものであった。この「肥沃な領土」における鉱物採集事業が人々の注目を集める材料としては充分過ぎ、西方会社の事業は極めて前途有望と信じられていた。そして、斯様な人々の期待に合わせるように、この頃ローの西方会社はミシシッピ会社(The Mississippi Company)と商号を変更した。

 ミシシッピ会社がフランス王室より与えられた独占事業権とは、フランス領ルイジアナにおけるすべての収益事業を会社設立から25年間独占的に与えるというもので、同時にその地区における「知事」の任命権と、土地開発業者選定の権利をも与えるというものであった(もっとも、フランス政府はその見返りとして、25年間の独占期間の終了までにフランスから6,000人の移住者と3,000人の奴隷を同地へ移送することを条件にしていた。これは、当時のイギリスのアメリカへの移民政策に対抗する政策であったと思われる)。
 
 さて、ミシシッピ会社の事業展開に先立ち、当然のことながら資金調達の必要が生じた。それも、半端でない額の資金調達である。それに対し、フランス国中から絶大な信用を集めるローの取った手段は至ってシンプルで、ミシシッピ会社の株式をフランス国内で販売するというものであった。それも、先のフランス王立銀行設立の時と同様、現金と「手形」で販売するというものであった。金融的に破綻する者は、前にそれによって成功した経験によって破綻すると言う。フランス王立銀行の株式を現金と株式払込手形の発行によって販売し、インフレーションを発生させることなく無事に「貨幣」として流通せしめた過去の経験が、今度は大いなる「鉄槌」として後のローに振りおろされることになろうとは、この時点のローには知るよしがなかったであろう。
(次回へ続く)