バブル経済に学ぶ:ミシシッピ会社事件

 ローのぶち上げたミシシッピ会社による金と銀の採掘事業は、おのずから話題を呼び、投資家の期待はいよいよ高まった。ミシシッピ会社がついに採掘事業を開始するというニュースが伝わるや、同社の株を求める投資家が殺到した。ミシシッピ会社はその後、アフリカのタバコ独占貿易圏を取得し、さらには中国との独占貿易圏も取得した。ミシシッピ会社の事業は、果てしない拡大を続けてゆくように思われた。

 1720年、ローはフランスの財務長官に任命され、フランス国家の通貨発行管理と、徴税業務の全般を任されるに至った。ここにおいて、ローは彼の人生で最大のピークを迎えたというべきであろう。そして、この時点におけるローは、事業のさらなる拡大のため、新株発行による資金調達を継続していた。

 ローおよびミシシッピ会社に対する投資は過熱を極め、パリ証券取引市場では、ヨーロッパ中から殺到した投資家の混乱を制御するために軍隊を発動しなければならなかったとされる。誰もがミシシッピ会社の株を求め、株価の正常性について疑問を投げかける輩はほとんどいなかった。そして、当初500ルーブルで売り出されたミシシッピ会社の株式は、この時点においてついに10,000ルーブルの高値を記録したのである。

 投資の常識として明白であるのは、投資先が配当を含めた収益を確保することが投資を呼ぶ条件になることである。ローの発行した株式および手形の担保となるのは、ミシシッピ会社および王室銀行の財務の健全性であり、また、キャッシュを筆頭とする収入源である。しかし、この「収入源」は、ローの説明の上では、ミシシッピ会社の行う意欲的な冒険事業によって、しかも、とてつもなく莫大な金額が、相当するはずであった。しかし、にわかに信じがたいことではあるが、ローの主張する金と銀の鉱脈がきちんと存在するという証拠を示したものは、実は誰もいなかったのである。

 さて、パリ証券取引市場の混乱は拡大を広げ、フランス政府は当時のケンカンポア街にあった市場を、もっとひろいヴァンドーム街に移さざるを得なくなった。人々、あらゆる階層の人々がミシシッピ会社の株式を求め、市場はいよいよパニックの状況を呈してきた。ミシシッピ会社の株式を取得しようと、パリの婦人たちは、往々にして性に寛容であるとされるが、自らの肉体を対価として提供したとされる。なお、これはパリジャンヌに固有な現象ではなく、例えば、1980年に発生した、マイケル・ミルケンによるドレクセル・バーナム・ランベール事件においても、投資家をもてなす舞踏会が催されたが、この宴においても、同社が担いだジャンクボンドを求める多数の婦人投資家が、自らの肉体を奉げて同社経営陣に接触したとされる。カネと血と女とは実は同根であると言われるが、カネの取引の究極においては、婦人というもののひとつの本質が、極めて露なかたちで発現してくるものなのかもしれない。
(次回へ続く)
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