バブル経済に学ぶ:ミシシッピ会社事件

 さて、ローが乱売したミシシッピ会社株式の代金は、同社がまもなく発見するであろう金脈の探査にあてられることはついになかった。それらは、実はフランス政府の抱える莫大な負債の返済にあてられたのである。ローおよびフランス王室銀行が発行した国債の償還のために発行された株式払込手形は、その後、ミシシッピ会社の新株の決済原資として向けられるようになった。そして、この追加需要にこたえるために、さらに多くの株式が発行された。その結果、株式払込手形は文字通り天文学的に増加し、ローの当初の目論見とは裏腹に、金融の世界でいう「レバレッジ効果」を、逆のベクトルにおいて実現することになったのである。

 先に紹介した南海会社と同様、ミシシッピ会社の「事業」は、まったくのところ実現される見込みすら立っていなかった。それでも、人々が同社らの株式を求めて殺到したのは、ひとえにローおよび政府、南海会社の場合のイギリス政府と、ミシシッピ会社の場合のフランス政府の、信用を担保にしたからである。もっと厳密にいえば、政府の信用が担保になると投資家が信じたからである。国家というもの信用格付が絶大なることは古今東西同一であるが、現在における我が国の国債の人気ぶりをみても同一の感を覚えるであろう。しかし、それがごく近い将来に紙クズにならないという保証を、誰が出来るであろうか(なお、日本政府はつい55年前、国債を一度紙クズにしている)。

 南海泡沫事件と同様、終末は実にあっけなくおとずれる。一株10,000ルーブルを記録したミシシッピ会社の株式は、当然のことながら、それを売却して利益を得ようという一部の投資家の売りを誘発した。額面の20倍もの値段がついた時点で、売却益を得ようという輩が出てこないというのはまずありえない話であろう。その結果、売りが売りを呼ぶという逆連鎖が発生し、同社の株式はまたたくまに暴落した。そして、同社株式の、国債およびその担保である金との兌換性をもとに、暴落を続ける同社株式を金に交換しようという人々が王立銀行に殺到した。狼狽したローは混乱を抑制するため、王立銀行金庫に金が充分保管されていることを人々に見せつけようと、パリ市内の乞食数百人を雇いいれ、スコップを担がせて王立銀行の周りを行進させたのである。

 しかし、暴落という現実を目の当たりにした投資家は冷静を保てず、連日王立銀行に「取立て」に殺到した。そして、1720年7月には、殺到した人々とフランス政府の間で衝突が発生し、実に15名もの人名が失われる悲劇が発生した。いよいよ現実を直視せざるをえなくなったローは、ついに自らが発行したミシシッピ会社株式払込手形の金との互換性を失効させる宣言を発した。その結果、ミシシッピ会社の数百万人の株主が、一挙に一文無しへと没落してしまった。一方、同社の株式は暴落を続け、1721年の9月には、もともとの発行価格である500ルーブルへと下落し、正に元の木阿弥となってしまったのである。
(次回へ続く)
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