ミシシッピ会社事件★★ダイジェスト版★★

4月19日から8日間に亘って掲載したコラムのダイジェスト版。
投資生活に役立つ知的コラムを、たった☆1日で習得できます!!
また、明日からはアメリカのバブル事件をご紹介。ご期待下さい!
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ミシシッピ会社事件★★ダイジェスト版★★ 4/19〜4/28

 ミシシッピ会社事件とは、アメリカ大陸フランス領ルイジアナ地区ミシシッピ川流域を舞台に起こった、フランスのバブル経済事件である。フランスがアメリカの植民地事業に進出したのは1699年のことであるが、当時の国民は、自らの植民地のことについて、ほとんど知識がなかったと言われている。

 実は、当時のフランスの国家財政は事実上破綻しており、フランス国家はその打開策として、スコットランド人のジョン・ローという人物の提案を受け入れ、王立銀行を設立し、設立資金のために王立銀行株式を販売した。株式代金の支払方法は4回の分割払いで、しかも最初の1回だけ現金、残りの3回は手形でよいとしたため、一般投資家は即座にこれに飛びついた。

 加熱し始めたフランス経済の飽和と浮き足立った国民を迎合するため、ローはここでひとつの大国家プロジェクトを考える。西方会社という会社を設立し、フランスに莫大な富をもたらすとされた、アメリカ大陸フランス領の冒険事業の独占権を取得したのだ。ミシシッピ計画と言われたこのプロジェクトは、フランス以外の投資家にまで注目された。またこの頃、王立銀行株式の払込手形は信用性を増し、当時金本位制であったフランス経済において、貨幣として機能するほどとなっていた。ローは貨幣経済の拡大こそが経済活動を活性化し、国家財政への還元になると考えていたようだ。

 さて、西方会社の事業の1つ、金と銀の採集事業は国民の関心が非常に高く、西方会社への期待は高まり、それと時を合わせるように同社はミシシッピ会社へと商号を変更した。そして、同社の事業展開のためさらなる資金調達が必要になったローは、王立銀行設立時と同様に現金と手形という販売形式で、同社の株式を販売したのだ。

 ミシシッピ会社の株を求める投資家は殺到し、ロー自身もフランスの財務長官に任命された。ローとミシシッピ会社に対する投資はさらに過熱を極め、パリ証券取引市場では投資家の混乱を抑えるため、軍隊が出動したほどである。ところが投資家の期待とは裏腹に、その株式代金はなんと、政府の莫大な負債の返済にあてられていたのだ。それどころか、ミシシッピ会社の事業自体、実は実現される見込みすら立っていなかった。それでも人々が株式を求めたのは、何と言っても政府の信用を担保にしたからである。

 この騒動の終末は実にあっけないものであった。1株10,000ルーブルを記録したミシシッピ会社の株式は、売却益を得ようという投資家の売りが売りを呼び、またたく間に暴落した。そして、暴落を続ける同社株式を金に交換しようと人々が王立銀行に殺到し、行き詰ったローは、同社株式の払込手形の金との互換性を失効させる宣言をした。その結果、数百万人の株主が一文無しとなり、ローを逮捕して処罰しようという世論が高まったが、それを察知したローは、一足先にイギリスに逃亡していた。

この事件を引き起こしたローの歴史上の評価は、大きく分かれる。1つは、ミシシッピ会社の事業は実現に向けて努力された形跡はあり、実現していればそれなりの収益をフランスにもたらしたという説。もう1つは、ローは詐欺師であり、その連帯保証をフランス国家が行った国家犯罪という説である。彼に悪意はなかったと思われる一方で、必ずしも善意だけとも思わない。詐欺師を構成する要素は、善意と悪意のバランスであると言われ、ローも例外ではないと思っている。