ジェイコム事件、その後をめぐって▼ダイジェスト版▲

★★★GW特別企画★★★第2弾★★★
あの衝撃事件を、もう一度!!

あの事件を今こそ再検証し、投資の教訓に!
私のHP上↓で年末に連載したコラムの
◆◆スペシャル・ダイジェスト版◆◆
昨日と今日の2日間にわたってお届け!!

http://www.wintrade.jp/pc/default.aspx?aid=7620



ジェイコム事件、その後をめぐって▼ダイジェスト版▲ 12/19

 昨日、ジェイコム事件について思うところをそぞろにつづった。要旨は、みずほ証券の担当者の犯した事務的ミスのお粗末さと、インターネットデイトレーダーによる短期的な利益獲得が、どんな形にせよ現実的にあり得るというものである。ところで、報道の伝えるところによると、今回の事件のもう一人の犯人は、実は東証そのものであり、しかも肝要の株式売買システムそのものに欠陥があったようだ。

 今回の東証システムの誤作動がこのような形で露呈したことは、色々な意味において興味深い。まず第一に、我が国の株式市場システムが、先進国のレベルに到達していないということだ。また、同程度および同様において、我が国において株式市場というシステムそのものが、特にアングロサクソンユダヤ的意味において、国家または国民の文化として血となり骨となっていないということである。

 株式市場の根元的始まりは、極めて原始的であった。ウォール・ストリートの始まりは、ふたりのユダヤ人の株式売買に始まったらしいが、金融は、人類の利害調整の具体的事務手続きとして発展してきた。シェークスピアベニスの商人の主旨は、コミュニティの最大公約数的文化的価値観を読み手に認識させるか、あるいは自ら認識し得るところにあるというのだが、当のイギリス的価値観では「契約における証拠主義の適法性」が主旨になり、またユダヤ民族的価値観では「契約の重要性、および発生主義の重要性」が価値観になる。一方、我ら日本人の見解は「情状酌量の量刑判断への影響性考慮の重要性」となるのかもしれない。

 ともあれ、各国の株式市場は、その国の文化そのものの一部なのかもしれない。我が国が発明した金融商品は、先物取引しかないそうだが、これも考えてみれば当然かも知れない。年中飢饉の恐怖におびえていた貧しい米作国家の国民が、米本位経済体制の中で考えつくものは、米先物取引くらいだろう。そのような国民が、アングロサクソンユダヤ型「株式市場」において「安全弁的インフラ」を用意できたとは、どうしても思えない。今回のジェイコム事件は、我々日本人のホモ・エコノミクスとしての国民性を発露させる結果になったと言えよう。