アメリカのバブル事件:コングロバブル 4

★☆★ 賢者のコラム ★☆★ 〜現代のアノ事件に通ずるもの!!〜
5月11日から連載を開始した
アメリカのバブル事件:コングロバブル」★★本日4日目★★

前回のまでのあらすじ
→1960年代のアメリカで行われた企業買収は、コングロマリット
 (Conglomerate:複合企業)になることで合併企業の収益性が
 高まったように見せかけるものであった。
 企業買収で誕生したシナジック社(アメリカン電子+ボストン
 フーズ社)という企業が、さらにカリフォルニア・ミリタリー
 という会社を買収。
 シナジック社の業績は表面上は極めて良好に見え、「優良銘柄」
 とされたが、買収を繰り返す結果事業そのものが複雑怪奇になり、
 一体何を行っている会社かわからなくなっていった。

http://www.wintrade.jp/pc/default.aspx?aid=7620



アメリカのバブル事件:コングロバブル 4

 シナジック社による一連の買収スキームは、例えるならば幸福の手紙を人から人へ手渡してゆくようなものであろう。合併による「成長」が幾何級数的に加速してゆく間は誰も傷つくものはいない。自然の摂理として、この手の話は長くは続かないものだが、このスキームの初期に参加していた人々にとっては大変魅力的な話となる。そして、このスキームには、プロであるはずのトレーダーやアナリスト達もこぞって参加し、「成長」に拍車をかけていたのである。

 シナジック社のケースは、模範的なコンゴロマリット的成長のからくりをいくつも呈示していた。例えば、表面的な利益を装う以外に、他にも各種のいかがわしいテクニックが用いられた。例えば、転換社債や転換優先株といったものが、合併時の株式の代用品として使われた。また、合併に必要な資金を調達するにあたり、現金による配当をまったく支払わない転換優先株が多用された。転換優先株普通株への転換条件が毎年改訂され(取締役会決議で改訂できる)、時の経過とともにより多くの普通株に転換されてゆくことになった。

 コングロバブルに参加した当時の投資家が、転換社債優先株普通株に転換された場合の希薄化効果を全く考慮しなかったとは考えられないであろう。コングロバブルにおいては、実際にこのような形での転換が頻繁に行われたため、その反省として現在のアメリカでは企業財務情報を「完全希薄化後」ベースで公表するよう義務づけられている。しかし、1960年代半ばには、ほとんどの投資家はこのような問題を無視し、ただ1株あたり利益が「成長」してゆくのを喜んで見ていたのである。

 コングロバブルのピークは1966年から1967年にかけてであるが、この時に一世を風靡したひとつのコングロ企業を紹介しよう。ファジー・インターナショナルという、まさに「ファジー」な事業内容につつまれたこの会社は、コングロバブルを代表する企業である。1963年から1968年にかけて、ファジー社の売上はなんと1400%も「増加」した。しかし、この驚くべき成長は、上に挙げたシナジック社のスキームと同様の「合併」によって達成されたのである。1967年には同社は25日間に4つの会社を買収し、同社の1株あたり利益の「成長」を演出した。市場はこの「成長」に対し、1967年時点で50倍以上の株価収益率をもって歓迎した。そして、株価は1963年の8ドルから、1967年の73ドルへと暴騰したのである。

 なお、同社のファジー社長は、言うなればウォール街全体の広告塔のようなものであったであろう。彼は、会話の至るところでファジー社の前途有望な事業計画を語り、遠大な未来について話した。聞くものはそれに魅了され、投資家も熱心に聞き込んだ。ファジー社長は一躍時の人となり、彼の語る一語一句は、まるで預言者の言葉のように、厳粛に、そして確実に、人々の耳に届けられていったのである。
(次回へ続く)