閑話休題:「愛の流刑地」新刊によせて

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本日はちょっとお休みして、こんな話題はいかがでしょう。。

話題沸騰 アイルケ です

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閑話休題:「愛の流刑地」新刊によせて

 日経新聞に連載されて評判を呼んだ渡辺淳一の小説「愛の流刑地」が、先日新刊本として刊行された。過激な性描写から朝刊として読むことが憚られたと言われる同小説は、我が読者の中でも読まれた方が多いと想像する。同小説のストーリーを改めて説明すると、かつて恋愛小説の旗手とされた55歳の小説家村尾菊治と、製薬会社に勤める夫と三人の子どもを持つ人妻入江冬香が不倫の恋に落ち、逢瀬を交わして行くうちに肉体的なつながりが深まり、最後は村尾が冬香をエクスタシーの頂点で絞殺、囚われた村尾が司直の裁きを受ける、というものである。

 同小説をめぐっては、単なるエロ小説であるとか、肉体の関係を男女愛の究極のかたちとして描いた画期的な小説であるとか、評価が好悪分かれて展開された。筆者も、新聞小説としてはそれなりに楽しんで読んでおり、連載当時はそれほどの評価をすることもなく、あくまでもひとつの官能小説として読んでいた向きがあった。しかし、先日新刊本をあらためて手にしてみると、この小説が提起するひとつのテーマが、それなりの重みと深みをもって読者に呼びかけられているとの再認識をもった。

 渡辺淳一は、元医師でもあり、男女の関係を性的な側面から特に注意して見続けて来たと言われる。渡辺は言う。「いま、純愛ブームだという。肉体関係がない、精神的なつながりだけの愛が純粋だと思いこむ。だがそれは単に未熟な幼稚愛にすぎない。精神と肉体と両方がつながり密着し、心身ともに狂おしく燃えてこそ、愛は純化され、至上のものとなる。 今度の小説は、その純愛のきわみのエクスタシーがテーマである。その頂点に昇りつめて感じた人と、いまだ知らぬ人との戦いである。最高の愉悦を感じるか否かは、知性や論理の問題ではなく、感性の問題である。 はたして、この戦いはいずれが勝つのか、そして読者はいずれに軍配をあげるのか、ともに考えていただければ幸いである」

 渡辺はさらに言う。女性のエクスタシーとは、強力な関係で結ばれた男の、性的な介添えがあって初めて成立する。そして、それは決して完成することがなく、程度が限りなく昇天する、ほとんど神秘的で神話的なものなのだと言う。それゆえ、男女の間には不断の関係が生じ、お互いを主従とする、また、お互いを必要とする共同体が完成する。

 男である筆者は想像するほかないが、女性のエクスタシーとは、かくも強烈で、一方でははかなく、切ないものなのであろう。男の介添えがなければ完成しない、ある意味では一方的に隷属的なものである。しかし、一度到達すれば死をもいとわない、禁断の魅力に富んだものなのであろう。

  今回は閑話休題と銘打ったが、我が読者にも一読を強くおすすめする。