特別コラム 福井日銀総裁のスキャンダルについて 後編

★★緊急コラム★★世間を騒がす、福井日銀総裁スキャンダルに物申す!!


株式投資の情報配信といえばココ↓↓NO.1の実績サイト!!オススメです★★
WINTRADE


特別コラム 福井日銀総裁のスキャンダルについて 後編

 筆者が、今回の福井スキャンダルに関して憤っているのは、国民全般が自らの経済的過失を反省することもなく、いたずらに福井氏を攻撃の対象とし、ただそれだけをもって自らの慰みとしている点にある。批判を覚悟で言わせていただくと、福井氏の村上ファンドへの出資は、純然たる投資行為であり、それは、ゼロ金利を象徴とする貯蓄の範疇からはまったく関係のないものである。そもそも、金融政策の一主目的は金融市場と資本市場との関係調整にあり、政策的に金利を低く誘導することにより資本市場への資金流入を促すことにあるはずである。そのことすら理解することもなく、「ゼロ金利を布いた福井総裁が『投資』で儲けるとはけしからん」と叫ぶのであれば、正に馬鹿の主張であるとしか言うほかない。

 命題の逆を論じるつもりはないが、妄信者の目を覚ますには、リスクの議論を呈すべきであろう。我が国では「投資」に関する教育や知識の伝達手段が少ないが、リスクと安定性はトレードオフの関係にあることくらいは理解しておく必要があろう。これは、先のワールドカップでサッカーの世界レベルを思い知らされたように、そろそろ我が国全般においても知らされるべき世界的常識である。今回の世論の論調を概観するに、要するに、「我々一般国民もリスクを取らないで濡れ手で粟のリターンを取りたい。そんなことを実際に行った福井総裁、しかも日銀総裁は、まったくけしからん」と言っているのだ。確かに、土地本位主義体制において確実にローリスクでハイリターンが獲得できた誠に幸運な時代があったのは事実だ(その影響はまだ続き、未だに多くの不動産会社がサラリーマンに『ローンを組んで家を買え』と言っている)。しかし、くりかえすが、それは単に「幸運な時代」におけるひとつの特殊現象であったに過ぎない。時代は、世界標準である「収益還元主義」に移っており、土地の値上り益や銀行金利固執する時代は、既に終わったことを認識すべきである。

 要するに、福井総裁は、リスクの高い村上ファンドにいくばくか「投資」しただけであり、そのことと日銀が金融政策としてゼロ金利政策を布いたこととは何ら関係がないということである。それでも、異論があるというのであれば、想像するに、「日銀総裁のような通貨の番人が、ハイイールドを謳う村上ファンドに出資するのは問題だ。一般国民は低金利で総じて苦しんでいるのだから、本人はリターンを追う行為は控えるべきだ」というものであろう。こうなってくると、ほとんど価値観の問題であるが、筆者は、そのような議論は所詮負け犬の議論であり、かつ、長年ぬるま湯につかってきた者の議論であると断言する。

 いずれにせよ、筆者は、福井総裁は最終的に辞任するであろうと考えている。これが日本の世論であり、空気であり、文化の結果であるからだ。その意味で、金融のような自己主体的な活動には日本国民はまったく向いていないのかもしれない。サッカーのワールドカップにおいて、予想通り決定打においてまったく点が取れなかったように。


コラムにご満足いただけたら、ポチっと★1票★お願いします↓↓

ブログランキング